専従・赤池の

 世界一周・思い出し紀行

 赤池の部屋

「世界一周・思い出し紀行」

   旅好き専従の赤池が10年以上前に行なっていた世界一周旅行。200ページに及んだ詳細な旅の日記と

  ほころびかけた記憶力を頼りに旅の日々を思い出しながら綴る、その名も「世界一周・思い出し紀行」。

   当時はまだ二十歳そこそこ。怖いもの知らずな若かりし自分の旅行に、分別臭くなってきた三十代の赤池

  が突っ込みを入れながら、旅で起こったハプニングや食べた不思議料理の数々などを書いてきました。

 ちょうど旅も半分が終わったところですが、事情により最終回を迎える事になりました。しばらくこのまま

 部屋を開けていますので、まだ読んでおられない方はぜひご一読ください。

第102回「とりあえず最終回」(アルゼンチン→帰国)

ヨーロッパで一番印象に残っているスロバキアのスピシュ城。

 アルゼンチンのブエノスアイレスで沈没すること1ヶ月。その間にウルグアイへの日帰り旅行もしました。外国旅行に日帰りで行けるってすごいですね。地理感覚が、島国の日本とは全く違う。当然隣国とのいざこざがあった時はもめ事も多くなります。でも、南米は基本的に大陸全体で一体感があった気がします。先住民が多い国(ボリビア)、白人移民が多い国(アルゼンチン)、混血が進んで人種がまじりあっている国(ブラジル)など色んな事情がそれぞれの国にあるけれど、それほど同じ大陸間で他国の悪口を聞かなかった。あるいは、僕の耳には入ってこなかっただけかもしれませんが…。

 このあと、アルゼンチンとブラジルの国境でイグアスの滝という超巨大瀑布を見ておしっこをちびりそうになったり、パラグアイで地図に載っていない移民の集落を通り抜けたり、サンパウロの東洋人街で日本食を食べまくったり、ブラジルで一番陽気な街と言われるサルバドールで現役のヒッピーに会いに行ったり、まあ、ここで書きたいようなネタ満載で旅が続いたのですが、残念ながらこの旅行記を書く物理的な時間が無くなってしまいました。ですので、とりあえず南米を出てからの旅の軌跡を少したどってみましょう。

 

 ポルトガル航空で大西洋を越え、初のヨーロッパへ足を踏み入れ、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ行き、「ここからユーラシアの東の果ての日本まで帰るぞー」と叫んでみました(笑)。そしてヨーロッパを周遊するつもりが、リスボンのユースホステルで出会ったモロッコ人にそそのかされて(?)、急遽ジブラルタル海峡を渡ってアフリカ大陸へ。フェズの迷路で詐欺に遭ってモロッコ人の男2人に追いかけられたりもしました。目の前をベールや民族衣装を身にまとったモロッコの人々が行きかい、生きたニワトリが飛び出してきたりミントティーの香りが漂う旧市街の迷路を走って逃げていると、まるで自分がインディージョーンズの映画の登場人物になった気がしました。

 モロッコからスペインに戻ってバルセロナでガウディの建築物をいくつも見て回り、イタリアのフィレンツェではポルトガル人の留学生たちと一緒に普通の観光を楽しみました。そしてハンガリーへ。東欧のほの暗い雰囲気を楽しんでいると、出発の時に成田空港まで見送りに来てくれた大学の友人のHが、「卒業旅行でパリに行く。フランス来られる?」という無茶振りで急遽長距離バスに揺られてオーストリア、ドイツを横断して花の都パリへ。久しぶりの再会にも友人Hは「お前誰やねんっていうくらい髪も長いし、黒い」と長髪と日焼けしすぎた肌をいじられました。その後、オランダ、チェコを経て再びハンガリーへ戻り、今度こそ東欧を周遊しようと、スロバキアとポーランドをゆっくり旅行しました。スロバキアとポーランドはヨーロッパでも特に印象に残っている国々です。自然が美しく、人々は素朴で、そして簡単には割り切れない複雑な歴史を抱えている国。スロバキアはスピシュスケーポドゥラディエという舌を噛みそうな名前の村のはずれにあるヨーロッパ最大級の廃墟の城「スピシュ城」に感動しました。あまり有名ではないですが、僕が見たヨーロッパの遺跡などの中で最もすごかった。ただ、あまりにも田舎の村だったため、食堂が一軒もなく、宿の水道をコップに入れて電熱器でぬるま湯にして、そのぬるま湯でバックパックに入っていたインスタントラーメンをふやかして食べた(とてもまずかった)という悲しい思い出もセットでついてきましたが。

 ポーランドは、なによりもまずアウシュビッツ(ポーランドではオフィシエンチムと呼ばれています)が強烈な印象として残っています。アウシュビッツで起きたことを人類が経験してもなお、現代でも戦争は無くならない。これってチェルノブイリや福島の事故の後でも原発をやめられないという現状と全く同じ構造なんじゃないでしょうか。とにかく、アウシュビッツを見た後でも戦争を肯定できる人がいるなら、その人はきっと心が石でできているに違いない。

 その後、さらにヨーロッパをグルグル周遊してハンガリーで年越しをして、トルコを経由して一気にタイのバンコクまで飛行機で飛びました。本当はパキスタンやインド、バングラデッシュも行ってみたかったのですが、南米やヨーロッパでのんびりし過ぎたため、完全にタイムオーバー。帰国の期限が迫っていました。

 日本を出たのが3月の終わり、タイのバンコクに1月の終わりごろに来ていたのですが、すでに日本では次の年の就職活動が始まっていました。カンボジアのアンコールワットだけ観光して、後ろ髪をひかれる思いで日本に帰りました。帰ってきてしまいました。あーあ。

 成田空港には千葉県に住む大学の友だちSが迎えに来てくれて、そのまま船橋市の彼の家に宿泊させてもらいました。Sのお母さんが巻き寿司を作ってくれました。その中のひとつ、梅入りの細巻きを食べた時、梅干しの名状しがたいその味、日本としか言いようのない味が口に広がり、ああ、俺は日本に帰って来たんやな、と思い知りました。一番美味しかった食べ物。旅の間に食べたどんな外国の珍しい食べ物でもなく、一年間日本を留守にしたという体験を経て最初に食べた梅の細巻きが一番印象に残っています。

 

 ヨーロッパ以降の出来事を同じように書いていくと、あと100回分くらい連載しないと旅が終わりません。いつか機会があれば書きたいと思いますが、とりあえず今回で最終回。

訪問国30か国、旅行期間315日、訪れた都市76、費用は全部で110万円でした。

 長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございました。(おしまい)

 

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